bbpersonalhistoryBの日記

脳梗塞患者入門中の毎日

麻痺とは、脳からの司令がオン(緊張)の状態になっている。オフにする回路が働かない。オンオフがあってこそ、筋肉の働きは、可能になる。

運動不能のとき、危険から命を守るには、身体を小さく折りたたむことだろう。これが自動でできることが、先ずは、必須となる。もしくは、外側を固めて、身をまもるのだ。

筋肉のオン・オフを考えると、脳に記憶されるのは、オフのときだろう。オンで形が決まって、オフ

のときに、脳に記憶される。それをついついオンで埋めてしまい、オフを忘れてしまう。なんと効率の悪いことか?オフは力を抜いたときでもある。形を忘れる過程で新脳にコピーされて行くのだろう。

2/10(土) 朝ごはん

 

オン・オフの繰り返し。オンばかりを大切にしていないか?オフのほうが大切だ。脳細胞に記憶されるのは、オフの時。息を吸う時吐く時もそうだろう!

オンは形になった時。形を脳は記憶する。記憶するのは、オフの時。これは、ホラごと理論だ。妄想だろうが、面白い!

脳は形としてはっきりしたものが、好きだ。

あやふやなものは嫌いだろ。

2/10(土) 昼ごはん

足踏みや、歩くことなど、脳にコピーしていくのにはどうしたら良いか?動きがあるのは、脳は苦手だ。体の動きを分けて覚えるしか無い。 立つところと、一歩前に足を踏み出したときは、固定(静止しているから)しているから、その瞬間をコピー。あとはそれが滑らかにシーンからシーンへと、自然の流れで移り変われば良い。映画のコマ送りの原理だ。自然の流れは重さの変化だ。

歩くという運動をオンとオフに分けて見る。

①オン片足で立つ

②オフ前方に片足を振り出す

③オン降り出した足に立ち切る

④オフ前方に振り出す

このように、オン(在る)とオフ(無い)で分けられる。オンの時には、コピーが必要だが、オフの時にはコビーは、いらない。情報量は、ZERØで済む。

運動というのは、明滅である。

忙しく忙しく明滅しているのが存在である。私達の認識能力は

消えたりついたりの、連続でしかない。ひと繋がりと思うのは脳の錯覚である。

 

勝手に脳細胞の復活の手段を妄想して見た。

脳細胞の復活には、鮮やかな2次元の画像が必要なこと。

そのコピーに依って、新しい脳細胞に書き込まれること。

繰り返えされることで、コピー元本は、無から有になること。

こんなところか?映画と同じくコマ送りによって、脳内で蓄えられて、再生されることで、メモリーを節約していること。脳の錯覚に依ってオン・オフの投写が成されていること。

 

2/10(土) 夜ごはん

 

オフにするのは自分では出来ない。観音様の力を頼るしかないか!どっちにしても、誰かの手を借りなければ。南無観世音菩薩。

美味しいご飯は少し心をやわらげるが、作った人に南無観世音菩薩。左足の麻痺の痛みが慈悲(観音心)に変わるまで。