
入所から、半年が経った。冬を越えて、夏を迎えたわけだ。その間時々お休みしながら、日々歩き続けて来た。もう二年程、歩く練習を続けてきたのでは無いだろうか?まだゆっくりしかあるけないのだけれど、まず転ぶことなく、30分ほどならば、移動が出きる。自分の足で出かけることを、夢見て、ひたすら歩く練習を続けて来た。その他に希望はない。初めて歩く練習を始めたとき、ベッドから、立ち上がりリハ技師に付き添って貰って、練習に臨んだとき、目の前に、無限に道が開けた気がした。このまま、滑るようにして何の抵抗にも合わず、どこまでも、歩いて行けると、思った。あれから、歩くことに期待を膨らませた。そして、自宅の周辺を、杖を突いて歩くようになった。歩けることへの夢は、転倒や、家族の反対が有っても、何があっても潰えることなく。私の唯一の希望となった。最初の頃は、徒歩15分程のところにある、近所のコンビニを目指したが、練習が足りずに夢は叶わず、そのまま養護老人ホームへ、引っ越しとなった。今は、スクワットを日に100回、ブラス廊下歩きを欠かさない。
まだ安定して歩けない。よくよく考えると、私は、これまで、どうやって歩いたら良いか?歩くテクニックを探して、練習して来た。体操の教師みたいなことをやっていたので、どういう風に歩けば歩けるのか?頭で考えて、歩いていた。歩く技術で歩いていた。だから、転倒による怪我は最近はない。だけど、考え考えなのでスピードが出ない。子供は、誰かから歩く方法を教えてもらって、歩けるように成るのだろうか?そんなことは無い。ひたすら自分で歩く練習をする。方法なんて考えずに、歩くことを繰り返す。少々の転倒なんて、からだの柔かさで大したことにはならない。また起き上がって、歩くのだ。からだの骨組みは、歩けるように神様が創ってくれたのだ。経験や小賢しい知識など捨ててひたすら我武者羅に歩けば良いのだ。施設は、転倒時の安全は、保証されている。施設の廊下をぐるぐると歩き回るしかない。そうすれば、諦めなければ、いつか必ず歩けるようになるだろう。
今朝方、歩行練習していると、部屋の前で、ぶつぶつと異言(アーとかウーと言う、意味不明の音声)をかたりながら、車椅子で廻っているおばあさんに会った。訳分からなくて、皆に嫌われている人なのだけど、勇気を持って「おはようございます」と声をかけてみた。私に対してハグしようと、手を述べるので遠慮したら、「大丈夫・大丈夫」と励ましの言葉を貰った。
異言を語る人との朝のやり取り、なんだか歩くエネルギーを貰った気分。
いつも人の様子に文句をつけているおばさんがいて、声が大きいので苦手なのだがその、横を抜けるのが嫌でならない。歩いていると「かわいそうね、大変だよ!と大きな声で回りの人に話す。可愛そうの言葉の裏には侮蔑が見え見えだ。その評価が変わった。毎日良く歩くね!と言う。褒めているのだろう。侮蔑は無い!帰り際に今度は食堂前でまた異言のおばあさんに、会ったが、職員が遠ざけてくれた。半分残念。
今日は、何か変な日だ。ちょっぴり、歩く力を貰った気分。歩くことも、神様が発明して、私に与えてくれたのだろう。努力をすると遠くなって、身に着かない。自然が一番、努力はいらない。祈りながら歩くと、怖さも無くなる。そう言えばあの初めて歩いた時の無限に対した感じ。あれは何だったのだろう。自分の体を忘れて神様に支えられて、歩いたとでも言うか?なかなか会えない体験だ。もう一度味わいたいな!