
6/4(火) 5月末に施設見学に行った特養(老人ホーム)の入所手続の、相談を家内から受けた。何でも入所の決定までは、審査があって、1年近く、待つそうで、手続きは、早めにしたほうが良いようだ!

私は、要介護3級である!
生活全般に、他者(介護者)の手を借りなくては、過ごすことが出来ない。
朝起きると、先ずポータブルトイレの片付け。朝食の準備と後片付け。衣類の洗濯と片付け!
昼ご飯とオヤツの用意。介護ベッドの片付け、夕飯の支度!その他デイケアや通院への送り迎えと付き添い、見送り。赤ん坊を育てた事の在る人なら、その大変さは想像がつくだろう。私は、口うるさい大きな赤ん坊と一緒である!
要は、私が、眠っている時、本を読んでいる時以外、家族は、なんかかんかと、気を使い、私への介護の手を休める暇が無い。最近は、杖歩行の練習にも、付き添ってくれている。これらの手間が、私が特養に入所すれば無くなる。排便と食事(私の自主的な活動)以外の生活に必要なことは、施設の方でやってくれる!私が施設に入所すれば、家族のストレスが無くなり、これからのことを、落ち着いて考えることができるだろう。家内も、自分の体調維持に専念できるだろう。娘も今のままでは、友人と遊びに行く間も無いだろう。
私も、私の処遇を巡る、家族間の摩擦(ストレス)の絶えない生活から、離れることが出来て、やりたい事に集中できるだろう。老人ホームに入所すべきかどうか?だいぶ迷ったが、施設では、1日中読書も可能である。聖書を読みたい。きっと、あの分厚い聖書を読むのには、十分な時間が、必要であろう。施設に入るのは、何かと不便も感じるだろう。
私が杖歩行に熱心なのは、自分の足で自家の玄関を出て、誰の手も煩わせずに、フラリと喫茶店に行って、コーヒーが飲みたいからである。そんな自由が堪らなく、恋しいのである。施設に入っては、そんな望みは叶わなくなるだろう!でも、世間のインフラを自分の意志で、自由に利用することが、できなくなっても、老人ホームの中で、叶えられる望みも在るだろう。施設に入ることを、刑務所などに強制的に閉じ込められて、自由を奪われることと、考えていたが、私の個性的な生きた方も、まだまだ見つかりそうな気がする。まだ、死ぬまでには、少なくとも、10年位は在るだろう。その時間を使って、精一杯、自分の人生を、悔いの残らぬように生きたいと思う。
私は、今の儘では、死ぬに死ねない!生きるために何が必要かは、まだ分からない。
今現在、わたしは、三浦綾子さんの本に夢中である。彼女の語る、キリスト教には、魅力を感じている。こんな私でも、自分を育てる機会がありそうだ。(入信しようかな?)まだまだ、自分の人生を投げ捨てるには、早すぎる。私はあきらめが悪い。自分の人生をまだいつまでと、区切りたく無い。
老人ホームに入って世間との連絡が途絶えるのを心配していたが、『住めば都と言うではないか!』
何とかなるだろうと、半分くらい、考え始めている。今までの脳梗塞罹患以降の入院は、家族の決定に、仕方なく渋々(自分ではそう思っていた)従って来た。今度は、自分の意志で、施設への、入所を選べる!
と言っても、私は若い時に老後のお金を用意しなかったので、選択肢は、殆ど無い。結局老後は、社会制度の福祉の枠の中で、お任せするしか無いのだ!
世間の人々には申し訳ないのだが、お世話になります。もうしばらくの間だと思うけれど、皆さんの収めた税金からの支出。宜しくお願いします。私は、食うだけには、困らずに、(脳梗塞になったお陰で、福祉のサービスを受けて)人生を送れそうです。死ぬまでに、もう少し、皆さんに恩返しをしてから、サヨナラしたいものです!
こんな状況だけれど、少しでも、誰かの役に立ちたいと思うのだ。何があるかな?とりあえず特別介護老人ホームに入れれば、こんな私だけれど、家族の為には、なることだろう!
今更ながらでは、あるが、妻と娘には、感謝である!