bbpersonalhistoryBの日記

脳梗塞患者入門中の毎日

7/10(木) 今日は元気だ!ご無沙汰しました。久しぶりに投稿します!

7/10(木)、老人保健施設東大和「そよ風」5日目の朝である。通算5回目の宿泊になるか?いつもなら、今頃は、疲れ果てて、ぐったりしていながら、意識の気合で何とか自分を支えているのである。もう家に帰るのが待ち遠しくなっている頃だ!それが今回は、続いて行く日々の1日で、あまり変わらぬ朝である。窓を明けたら、今日の朝は、20度台の気温だ。1週間程連続した、30度を超える、異常な夏の暑さは、無い。普段からエアコンが効いているので、構内は涼しくて、杖歩行の練習が存分にできるのであるが、今回は「そよ風」宿泊に大分慣れたのだろうと思う。疲れが深くはない。元気なのである。「元気」とは、なんだろう?それは、身体の暗い感覚に落ち込まずに、過ごせるかどうかだ!

朝から歩く!10時頃まで歩いたら、聖書を読む。そうすると思考に取り込まれることがない。これは集中のいることだが心は平静である。昼ご飯まで読んで歩いてから、昼ご飯を頂く!キリスト教作家三浦綾子さんのお陰だ!
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午後も似たようなものだ!聖書を2時間読んで2時間杖歩行。と、おやつ!明日も、良い1日でありますように!
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6/25(水)カロリーゼロのアイスモナカを食べた日に日焼けをした、Mさんありがとう!

日曜日に日焼けをした。ここ2年程、日焼けには、縁なく過ごして来た。久しぶりに、日に当たったので、酷く日焼けをした。
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私としては、久しぶりの日焼けが、心底、嬉しかった!普通に『日焼けが出来る!』と、病を忘れてた、嬉しかった。見た目は凄いけど、私にして見れば、何とも無い!自分の日焼けぐらい、どんな具合かよく分かる。赤く腫れたのは、二三日もすれば、黒く落ち着いてくるだろう。麻痺側の腕なので、反応は鈍いだろうが、私的には、痛みなどの問題はない!麻痺している側は体温が低いので、見た目程には、暑くも無い。このまま待てば、治るだろう!こんな意見を誰も聴いてくれない。火傷と決め付けて、どう治療するかを考え出す。家族は、病院に連れていかねばならないと、怒り出す。ましてやこのくらいの日焼けで死ぬことは無いだろう。

家族から看護師まで、寄ってたかって火傷にしようとする。私が大丈夫だ!と言っても通じない。どうも私の大丈夫!という言葉は、全く信じて貰えないようだ。私は、それが何より悲しい。

回りの心配と、私の感じ方の間には、相容れない、溝がある。その溝を目の前に、いつも喧嘩になる。私には自分の感覚を信じられないのが、きつい!何か和解のラインは見えないのか?私は病気なのも、そこからくる、常識というのも分る。が私の心の奥では、大丈夫だと言う声が聞こえる。私の『嬉しさ』を誰か、分かってくれないか?それを消すことは、私の幸せを、否定することだ。私は、そんな小さな幸せを、日々の生き甲斐として、何とか自分を保っているのだ、せめて、私の感じている事を頭ごなしに否定するのは、止めて欲しい!例え常識的には、間違っていても、生き甲斐を否定するのは、止めて欲しい。そのたびに、私は深く傷ついて、諦めの境地に入り、活きる意欲を失くすのだ。自分を肯定することを止めたら、何も残らない!そもそも、病気を何とかしようと、同じ土俵に立つのは、ダメのようだ。お風呂のスタッフが、やっぱり日曜日に日に焼けたと真っ赤に焼けたか肩を見せてくれた。私と同じ色具合だ!そう言えばリハのスタッフも自分も外歩きなので、よく焼けると言いながら、大丈夫だと言ってくれた!保湿だけすれば良いと言ってくれた!外を歩く人は、日焼けに対しておおらかだ!命に関わることがなければ、少々大ざっぱなほうが、良いのだ。私などは、自分の歓びを基準に命を燃やしている。

嘘でもいいから、腕の日焼けを見て、大丈夫だと言ってほしい。駄目だと考えると、駄目になる。大丈夫と考えると、不思議と大丈夫になる!これを『ケ・セラ・セラ』と私は考える。だいたいその通りになる。わたしは、それを信じて生きている。誰が何と言おうと、私は『ケ・セラ・セラ』を信じて生きていく。因みに『レット・イット・ビー』も同じ意味で心底願えば、願いは叶うということのようだ!

 

私の嬉しさを、自分の常識に取り込まず、否定をせずに先ずは認めて欲しいだけかも!脳梗塞の男に否定は要らない!

6/20(金) 歩く怖さがだいぶ消えたかな?


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そう言えば、座(車椅子)から歩きに移るのが、とても億劫だった!ここのところ、座から歩きに移るとき、楽しみを感じる。座と言う安定を離れて、地上高90センチ程の高さに重心を浮かせて歩くのは転倒、転落の可能性を含む不安定な世界に入る。大きな覚悟が必要だった。歩いて行くことには、転倒、転落への怖さがつきまとっていた。今も転倒への恐れは、消えた訳では無いが、一歩一歩左足を前に振り出して、小さな距離をゆっくりと少しずつ重ねて行けば、転倒の恐れは無い。景色が変わって行くのが、楽しみになって来た。そういえば、起きている時間の殆どに転倒への恐れが付きまとっていた、心はベッドに寝ている時以外、緊張で休まることがなかっのだ。それが車椅子を離れて、立ち上がることは、新たな世界へと踏み出して行く感じである。体調が良いと、何も考えずに、歩ける。上手く歩けないときは、ああでもないこうでもないと考えばかりていて、距離が伸びない。上手く歩けている時は、歩き始めた子供が、重力から解放されたように、邪魔する者が無くて、いつまでも歩けるような気がする。セブン-イレブンまで、行けるようになるのには、あと何日歩けば良いのかな?イレブンで、モナカのアイスを食べたい!

 

6/13(金) 久しぶりのそよ風、ひと月ぶりに、歩いたら、歩きが上達していた件


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ひと月ぶりに東大和ショートステイそよ風にお世話になっている!スタッフの女性から、歩きが上達したね!と、褒められた!私自身も、ひと月ぶりなので、変化がよく分かる。ここ一月ほど、歩きの進歩が感じられずに、落ち込んでいた!のが、もうご機嫌である。へとへとに疲れて動けなくなるまで廊下を歩く!私は考え過ぎて、歩けなくなっていたようだ!歩くのに頭で考えては、歩き方に意識が取られて歩けなくなる。歩く骨(こつ)は、力を抜いて、手放しになることである。歩いていて、怖くない。脚が自然に出て行く!気持ち良くて、楽しい。そうだ!歩く楽しさを忘れていた。如何に努力すれば歩けるのか?そればかり試していると、辛くなる。まだ行き詰まるかも知れないが、いまは、このままでよしとしよう。ケ・セラ・セラ!
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6/11(水) 『いま・ここ』しかないんだよ!


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『いま・ここ』障害を持った者は、『いま・ここ』を離れて生きれない。『いま・ここ』ではない、地点から投げかけられる言葉は、私にとっては関係がない!返事のしょうがない、言葉だけならいいが、同時に私への指示を含む場合がある。この場に来ていない、人やモノに対して、ブレーキを解除しろと言われても、私は困るのだ!言われた瞬間ものすごく腹が立つ!いま目の前に姿を現した物には、対処出来るが、まだ来ても居ない物には、対処のしょうがないのだ。こんな事が、過去に障害者教育に関わった者が分からないのか。何故私が怒るのか?『いま・ここ』なんて自分には必要ないと、彼女は、思っているのではないだろうか?そこに居る限りは、私が怒る訳なんて、分かるはずがない!さっさと離れよう!特養老人ホームにさっさと行った方が、自分のためのような気がして来る!
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私は、説明が出来ないだけで、私が怒る理由は、ちょっと考えればわかるだろうに!

怒る=感情の爆発には意義がある、私は、自分が生きることに諦めを感じていないのだ!だから、『いま・ここ』が必要ないと決め付けてる人に対しては、時々爆発するのだ!

6/2(日) 5月末に見学に行った特養(老人ホーム)の手続の、相談を家族から受けた。何でも入所の決定までは、1年近く、待つそうである。

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6/4(火) 5月末に施設見学に行った特養(老人ホーム)の入所手続の、相談を家内から受けた。何でも入所の決定までは、審査があって、1年近く、待つそうで、手続きは、早めにしたほうが良いようだ!
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私は、要介護3級である!

生活全般に、他者(介護者)の手を借りなくては、過ごすことが出来ない。

朝起きると、先ずポータブルトイレの片付け。朝食の準備と後片付け。衣類の洗濯と片付け!

昼ご飯とオヤツの用意。介護ベッドの片付け、夕飯の支度!その他デイケアや通院への送り迎えと付き添い、見送り。赤ん坊を育てた事の在る人なら、その大変さは想像がつくだろう。私は、口うるさい大きな赤ん坊と一緒である!

要は、私が、眠っている時、本を読んでいる時以外、家族は、なんかかんかと、気を使い、私への介護の手を休める暇が無い。最近は、杖歩行の練習にも、付き添ってくれている。これらの手間が、私が特養に入所すれば無くなる。排便と食事(私の自主的な活動)以外の生活に必要なことは、施設の方でやってくれる!私が施設に入所すれば、家族のストレスが無くなり、これからのことを、落ち着いて考えることができるだろう。家内も、自分の体調維持に専念できるだろう。娘も今のままでは、友人と遊びに行く間も無いだろう。

私も、私の処遇を巡る、家族間の摩擦(ストレス)の絶えない生活から、離れることが出来て、やりたい事に集中できるだろう。老人ホームに入所すべきかどうか?だいぶ迷ったが、施設では、1日中読書も可能である。聖書を読みたい。きっと、あの分厚い聖書を読むのには、十分な時間が、必要であろう。施設に入るのは、何かと不便も感じるだろう。

私が杖歩行に熱心なのは、自分の足で自家の玄関を出て、誰の手も煩わせずに、フラリと喫茶店に行って、コーヒーが飲みたいからである。そんな自由が堪らなく、恋しいのである。施設に入っては、そんな望みは叶わなくなるだろう!でも、世間のインフラを自分の意志で、自由に利用することが、できなくなっても、老人ホームの中で、叶えられる望みも在るだろう。施設に入ることを、刑務所などに強制的に閉じ込められて、自由を奪われることと、考えていたが、私の個性的な生きた方も、まだまだ見つかりそうな気がする。まだ、死ぬまでには、少なくとも、10年位は在るだろう。その時間を使って、精一杯、自分の人生を、悔いの残らぬように生きたいと思う。

私は、今の儘では、死ぬに死ねない!生きるために何が必要かは、まだ分からない。

今現在、わたしは、三浦綾子さんの本に夢中である。彼女の語る、キリスト教には、魅力を感じている。こんな私でも、自分を育てる機会がありそうだ。(入信しようかな?)まだまだ、自分の人生を投げ捨てるには、早すぎる。私はあきらめが悪い。自分の人生をまだいつまでと、区切りたく無い。

老人ホームに入って世間との連絡が途絶えるのを心配していたが、『住めば都と言うではないか!』

何とかなるだろうと、半分くらい、考え始めている。今までの脳梗塞罹患以降の入院は、家族の決定に、仕方なく渋々(自分ではそう思っていた)従って来た。今度は、自分の意志で、施設への、入所を選べる!

と言っても、私は若い時に老後のお金を用意しなかったので、選択肢は、殆ど無い。結局老後は、社会制度の福祉の枠の中で、お任せするしか無いのだ!

世間の人々には申し訳ないのだが、お世話になります。もうしばらくの間だと思うけれど、皆さんの収めた税金からの支出。宜しくお願いします。私は、食うだけには、困らずに、(脳梗塞になったお陰で、福祉のサービスを受けて)人生を送れそうです。死ぬまでに、もう少し、皆さんに恩返しをしてから、サヨナラしたいものです!

こんな状況だけれど、少しでも、誰かの役に立ちたいと思うのだ。何があるかな?とりあえず特別介護老人ホームに入れれば、こんな私だけれど、家族の為には、なることだろう!

今更ながらでは、あるが、妻と娘には、感謝である!

5/30(金) 昨日は、特別養護老人ホームの見学に行った。東久留米市の、1カ所と小平市で1カ所。老人ホームに、ケアマネと、娘に介護タクシーに同乗してもらい、2箇所の施設を回った。


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東久留米市の、1カ所と、小平市で1カ所。介護タクシーに、ケアマネと娘に同乗してもら

い、2箇所の施設(特別養護老人ホーム)を見学に回った。

思っていたより、どちらの施設も居心地が良さそうだ!その心地良さに浸ってしまうと、一気に歳を取るだろう。老け込むだろうと、心配になった。

そういえば、実家の母が、80歳位の時に、手首を骨折して一月ほど入院して、家に帰ってきた時には、以前とは、全く、様子が変わっていた。反応が鈍くなって、チャキチャキしていたのが、老人になっていた。母にとっては、あの時が、変わり目だったのだろう、と、今更ながら気がついた。私は、自分が年寄りになるということには、実感が無かったが、そう言えば、あの頃、母と父が、年を取るとは、こう言うことだと、実地に教えてくれて、いたのだろう。介護をする立場でしか見ていなかったので、私は年を取ることを、他人事としてしか、捉えていなかったのだ!父は、脳梗塞をやんでいたが、やはり、85才くらいの時だろうか?駅までの、散歩コースが一人で歩けなくなったと、言っていた。母と父は、5才違いだから、(母80才父85才くらいが、ちょうど老人への変わり目だったろうか?私も、漸く覚悟が決まった。私は現在67歳だが、身体能力から見ると、もう十分に老化しているようだ、父母の80歳位の時に近いだろう。

自分では、実感が無かったが、回りで見れば、もう立派に年寄りだろう。もう老人だ。あと10年もすれば、この世に、サヨナラかも知れない!

私は、歳をとることを認めたくなかった。最近は、脳梗塞になる直前の大阪道頓堀の景色を繰り返し、思い出していた。60才前半の、活気が身体に満ちていた。そのときの実感を、私は、自分の中に、求めていたようだ。求めている時は、現実の自分の惨めさが見えなくなる。昨日老人ホームやを見学して、自分の心身の老化をみとめたら、いくらか気持ちが、楽になった。老いては子に従え、と言うではないか?子に誇れる物など何も無いままに、まっ更に立ち、言われる儘に、何も言い返さずに、はいはいと、素直に頷き従うしかない!それと同時に、私自身の、心を洗うことに集中して、家族に少しでも、楽しく楽に暮らして欲しいと思う!

自分自身の障害と、老化を認めたら、デイケアで、他のメンバーの老化と障害が見えてきたよ!自分の障害を認めないから、他の人の障害も、目に入らなかったようだね!自分の障害を認めたくなかったんだね!