bbpersonalhistoryBの日記

脳梗塞患者入門中の毎日

5/8今朝は、ぐっすり寝たぞ!体調が戻ってきてるかな?何年かぶりの熟睡だ!7時前に、気持ちよく目が醒めた!今朝の挨拶は、「おはよう。よく寝たよ!」だった🤭ストロー呼吸、5日目の朝は、4時に起きて、吸ったり吐いたりを始めて、5時には、布団に寝転んだ。

5/8(水) 朝ごはん

朝4時に、目が覚めて、ベッドから出て、そのまま、ストロー呼吸を、ぼんやりと、1時間(15分✕4本)やったが、変わらぬ自分の呼吸を感じて諦めたか?、やる気が出なくて、終わると直ぐに寝転んで寝てしまった。普通に、禅などの呼吸法は、集中が始まるまでに、2〜3日ほど時間がかかる。1日半ぐらいは、必死で座らないと。集中出来ない。坐ることへと、集中出来ず、足の痛みとか、からだの痛みとか、呼吸が正しくできているか?というふうに、余計な事が頭を離れず思考が、次から次へと、浮かんで来て、なかなか呼吸(意識)と自分のからだが一つにならない。集中しようとするほどに、からだがバラバラになる。レッスンでも、同じだ。場の空気が集中してきて、場がひとつになって、動き始めるには、最初の1日2日は、集中が成り立つまでにどんなに頑張っても時間が架かる。ましてや、家で1〜2時間では、そんなに集中は、深くならない。積み重ねで、小さな変化を見ていくしか無い、毎日少しずつ繰り返すしか無い。変化はしている。特に、抵抗が出てくるのは、集中して来ている、証拠だ。ストローを吹くという単純なことに、非常な、抵抗が出て来たりする。時間の経過がえらく長く感じたりして面倒になったりと、時間の流れに抵抗が出てくる。

普通なら辞めてしまえば、事は済むが、それが集中の深まりに連れてのことならば、要注意である。同じやりたくないでも、集中の過程ならば、もう一踏ん張り、頑張ったほうが良いこともある。

今日の私は、時間がなかなか進まずにうんざりして来る。まあ、更に頑張れという、お知らせだろう。結果、良く眠れたようだ。集中すると、全身の力が拔けるのだ!

 

5/8(水) 昼ごはん

(GreenVoice食堂:今日から、食材の高騰により、一食辺り食費30円の値上り。美味しいご飯をよろしくね!期待してますよ。)

(食後記:白飯は、1ランク上がったようで美味しくなった。艶が出て、甘さも美味しくなった。美味しいお米は、苦情が出ないものね!ついつい食が、進むもんね!あんまり美味しくないおかずでも、美味しく感じるよ。流石に食堂の担当者は、抜け目ないね。おかずにも、手心くわえてね!パンとか、カレーとか、好物です。)

 

集中するってことは、自分と対象との間にある、距離という観念が無くなる事だ。直かに対象と触れ合うことである。

集中をすると、ストローを咥えている、自分と、それを見ている自分の間にある、距離という観念が無くなることだ。私と相手の間にある、距離という観念、が消えて、直かに相手と触れ合うこととなる。何ともことばにするのを躊躇うが、距離というのは、意識(思考)が作り出した、観念(幻想)でしかない。ストローと自分という関係が消えて、ただストローが息をしているのだ。そこに至るにはストロー呼吸を繰り返して、ストローと私が一つになるところへ、辿り着かねばならない。叩けよ、さらば開かれんというが、吹けよさらば開かれんというところ。どんな考えも役に立たないにところに向かいこれがといえるところまで、吹き続けるしかないのだ。やがて集中は、向うからやって来る。

私がむき出しになる。私のからだは相手のからだを直に受けて動きの世界に入って行く。じっとしては、いられない。全てが乱れる。ただし、思考は消える。考えは、直接に実行される。(集中については、何度も文章にしてきたが、なかなかこれ!と言える文章がかけない。今回もちゃんとかけたとは、ちっとも思えないので、申し訳ない。距離が無いとは、どう体験を言葉で表すか、たいへん難しい。その体験は実際に、あるのだが、人と人との距離が無い状態を想像するのは、とても困難だ。原始人の社会を考えれば良いかもしれない。人と人との間を隔てる観念としての壁は、未だ区分が発達しない時代。今のように人と人とを分けることが、常識にならない時代。人と人とは、直接に心の動きを互いに感じ取りながら、生活集団を作っていただろう。冷たく乾いた現在のような人間関係を(距離感が)持てずに、皆が響き合っていた、時代を想像してみよう。そんな自然に近い時代の人間が作り上げた生活。そこに人と人の距離がまだ、あやふやな時代。きっと今より幸せな時代であったことだろう。距離がないと言うことは、時間も無い時代。現代のやうに、時間があることで、時間と言う観念がある事で、ストレスだらけの現在がある。それに対して、時間という観念の無い世界のなんと平和なことか?こんなところから、具体的に考えて行かなければ、集中の意味は、浮かび上がってこないだろうと、思われる。集中について知りたければ、こんな想像から、入って行くしかない。きっと豊かな世界だろう。ともかく距離と言う観念のない世界に参加するには、自分を壁に閉じ込めたり、人と自分を区別したりは、出来ないのである。漸く集中についての説明がができそうだ)

乞うご期待!

 

 

ウッドベースの夢(ここにさんにち)

 

『距離や時間という観念は、意識が作った幻想である。その世界は、思考の作った映像の投影であり、具体性を持たない。』その便利さが横行して、現在の世界観を作っている。

 

5/8(水) 夜ごはん