2/6(火) 朝ごはん
昨日は、夜中の2時から4時半くらいネットフリックスで『サザンオールスターズ茅ヶ崎ライブ2023 』を見た。サザンの十年振りの地元、茅ヶ崎公演の、様子を収めたもので、みんな年をとってはいたが、いい感じの仕上がりだった。
見おわって、大きな気付きがあった。
私は、大人数のコンサートは、ずっと、苦手としてきた。大勢の人と、一緒に音楽を聞くことは、自分の個性を歌い手の個性に合わせるようで、嫌だった。
ところがそれが間違いであったことを知った。むしろ、ライブのハイライトに於いては、客の殻はなくなって客はそれぞれに、最も個性的な存在=自由になる。その上、我と汝という自我の作った、壁を超えて、劈(ひら)かれた存在となる。魂の自由な開放の次元に入る。一体感などと言うことばを超えている。我と汝という、分かれたものが、足し合わされるのでは無い。共にZERØになるのだ。歌手の歌は、そこに至る道でしかなくなる。結局、歌手には集中力が求められる。歌の感情、そのものとなるまで、歌えなくては、アーティストと言えないだろう。丸裸の感情を他者に捧げること。破綻すること無く。神のお告げを謳う。ギリギリのラインの上を踏み外すことなく真っ直ぐに走るのだ。羨ましいな!私もそんな生き方を見つけたい。桑田さん、ありがとう。お疲れ様でした。
2/6(火) 昼ごはん
2/6(火) 夜ごはん
今日は、Messengerのビデオ通話を使って、久しぶりにお話をした。以前からウェブレッスンに度々参加してくれていた女性だ。話の内容はと言えば、私が現在行き詰まっていることへの言い訳と、その言い訳を分かってほしいと相手に甘えているような、内容の話しであった。
ブログの内容もそうだ、こういう話しを分かってほしいと、相手の腕にぶら下がっているだけ。情けない話しだ。相手に何かを伝えよう、新しく発見をして欲しいという熱気が、全く感じられない。情けない話である。こんなことで前に進める訳が無い!
私は、自我の消滅体験を2度ばかりしている。一回目は、自分の過去に意識を集中することで、自分を超える。過去の自分の心にに向ける意識の集中が自我を打ち破り、人生の意味を書き換える。
2回目は、自分のからだ(息)に中意を向けることで、身体が整い、自我という実感を失う。ZERØになる。
2回とも、人生の変わり目であり、必死の課題への取り組みに依って、自我を失い、非常に美しいものに出会っている。集中とは注意を一点に集めて離さぬことだ。その本気の深い集中によって、自我は突破される。そこに現れる光景は、想像を絶する。私は現在、もう一度そのような、集中を必要としている。意識の集中による、自己の突破だ。しかし今は、集中への手がかりが分からない。以前は内観と座禅という、仏教の修行法に必死に、我武者羅にしがみついた。どこに続くかわからぬ、集中の道を、必死で歩んだ。結果叩けよさらば開かれんの結果に合うことができた。
今は、そこまで集中出来るか否かに自信が持てないでいる。集中が出来れば、きっと道が開けるだろう。また言い訳を書いてしまったようだ。意識の一点集中にかけなければ!竹内時代は毎回自我の突破をしていた。自分を裸にして魂をみんなの前にさらすのだ。あの頃は毎回竹内に支えられていた。今は私は1人だ。誰の助けも借りられない。意識の集中を出来るか否か?私に必要なのは、自己を超える集中力である!必死の文字のごとく、生死の間に立つ緊張感がなければどうにも手が届かないところだ。