bbpersonalhistoryBの日記

脳梗塞患者入門中の毎日

元気が出るには?心が動かないのは辛い!挨拶さえ出来ない。人に気を使うことも。いい顔は全く出来ない。人からはなんと思われるのか?それが気になっている。更に情けない。

3/1(金) 朝ごはん

 

 

3/1(金) 昼ごはん(GreenVoice食堂)

 

ご飯に、映画に、時間に、全てに私は受動的になっている。
能動的な場面は無い。だんだんと自分が腐って行く。これまでは、自分から何かをやらかして行く、元気があった。ここ二三日は、能動的な動きが全く出てこない。このまま、じっとしていたら、立ち上がれないところまで堕ちるのか?いまは、萎れた、風船になったような気分だ。人から声をかけられても「あー」とか「エー」としか答えられない。風船の中には、空気が入っていないから、針を刺そうが火で煽ろうが、こちらからは何も答えが出ていかない。返事は、出ていかない。それが当たり前になっている。返事は意味のハッキリしない、短い音の並びでしか無い。意味を持たないものだ。能動的という積極性は、微塵もない。あるのは受動的に、人の言うなりに起こす行動でしか無い。当然、心は萎れた風船であり、活気など少しもない。お風呂に入ったら、少し意識がふっくらしてきたが、形を成す、力は無い。弾んで、とび出す力は無い。今は、意識の底に沈んで静かに待つときか?ここまで落ちて良いのだろうか?苦しく重い。湖の底から、回りの出来ごとを眺めていよう。全く新たな動きが生まれ出すかもしれない。
ここまで、何も無いのは、体験が無い。新しく自分が生まれて来るには、必要な虚無に立ち会っているのかもしれない。初めてのことで。えらく不安になるか、自分の非意識を信じて待とう!

いまは、いじめられてた頃の自分が露になっているのかもしれない。慈悲が欲しい

「南無観世音菩薩」誰か助けて。

 

いまリハの女性スタッフに優しく声をかけられた。有り難いが、相変わらず心を占めてるのは、訪問リハの、辞めて行った男だ。「瀬戸嶋さんは優しいね」「訪問リハと合わないことは、よくあることだから、気にしないで」と言ってくれた。

新しいリハの担当が、話してくれたのだから、その時のプログラムをきっちりやろう。それで答えが出ればOKだろう。やりたいことをやることで、道が開けてくれば好ましい。これまでやらずに来たことではないか?

 

気持ちの落ち込みの実感ほどには、人からは分からないのかも。落ち込んで見えないから、声を掛ける必要はない。人からはそう見えるのかも。落ち込んだは自分を、落ち込んだ気分の方から照らしている。それでは、自分の中が暗くなるばかり。日向ぼっこをすれば変わる。その程度。暗いのは心だ。心を明るくすれば良い。

 

そういえば、近所のおばさんと、道ですれ違うとき、私は相手にとって、いない。泣けない泣かなきゃ。という演技のようなことは、よくやった。私の心を身体を通じて相手に見せようと、して努力をしたものだ。心を肉体化して、相手に見せようとしていたのだろう。

 

当時は、誰かに分かって欲しい、辛さを抱えていたのだろう。ともかくそのこころのつらさを、分かって欲しかった。私は一人で抱え込んでいた。それを誰かに分かって欲しくて、拙い演技を必死で、繰り返していたのだろう。結果から言うと、その真意は、誰にも伝わらず、何も変えなかった。私は暗くは無く、子どもの時の明るさを持ち続けていた。心の暗さを自分という存在に投影していたのだ。だから、自分は変わること無く、子供の純粋さのままで、明るく輝いていたのだろう。

 

3/1(金) 夜ごはん