
景色が、細かいところまで良く見える。ネットフリックスを見るようになったきっかけは、2年前、小金井リハに入院したときだ。毎日細かく組まれたリハビリスケジュールは、ベッドに寝たきりの私には、酷く厳しかった。楽しみといえば、家族が持って来てくれた、漫画とネットフリックスであった。昼間は、仰向けに寝転がったままで、三国志の単行本のページを繰る、夜消灯になると、携帯電話を台座に固定して、枕の横に置いてブルートゥース接続のイヤホンを両耳に付けて、ネットフリックスの携帯画面に見入る。病院で1人過ごす夜は長い。朝まで後何時間?考え始めると、時間の長さは無限に伸びて行く。夜明けを迎えるころに、くたびれ果てて、ようやく眠りに就く。そんな生活を3カ月も続けているうちに、明け方までネットフリックスを見みるのが当たり前になっていた。
目も眼精疲労で、傷みがあり、目ヤニで、眼を開く事が出来ない。それでも、ネットフリックスでアニメやドラマを見ずには、いられない。それほどに、脳梗塞というのは、つらい。こころに響く何かが欲しくて。1日中、身悶えしている。その、苦しさは、死を考えるほどだ。でも身体が不自由で自死も出来ない!誰も私のメンタルには、触れてくれない。三国志もネットフリックスにも、心の感動があった。何度枕を涙でぬらしたことか?その感動で、私は死なずに済んだのかも知れない。それらはメンタルの栄養(薬)であった。昨晩そんなネットフリックスをやめてみた。殆ど中毒状態だ。ネットフリックス無しには、眠られない。でも、本日は久しぶりに夜から朝まで眠れた。ともかく疲れないと眠れないので、寝る直前まで三浦綾子の『氷点』と聖書を読んだ。聖書を読む頃には殆ど頭が働かない。頭をヘトヘトになるまで、こき使った!ねる前に、階段登りを15分追加!朝まで眠れた!ポータブルトイレにも起きたはずだが、殆ど覚えが無い!起きたら何かがいつもと違う。ふらつきがないので、それを押さえる緊張がいらない。見え方が変わった事は初めに述べたが、ベッドから起き上がる動作が違う。余計な動きが無くてシンプルである。滑らかである。歩くと歩行の感じが違う。脳と足が、神経でつながっていて、動きにあやふやさが無くて、安定している。昨日まで、歩くのに伴っていた怖さがない。これまでに練習が上手く行っていたときの、冒険心と安心感がある。受け身で自動的な、感動を求めていたのが変わったようだ。ネットに嵌って、受動的に、情報を受け取るのと、紙の誌上を眼で辿るのとは、全く違う。
後者の方が、くたびれるが、静かで深い感動がある。最近読んだ、星野富弘さんの本は、酷く感動した。声をもらしながら激しく涙が流れた。三浦綾子さんの、著作も心に響く。私は1週間ほど前までは、殆ど本が読めなくなっていた。活字が目に入らなくなっていたのだ。読書の復活を助けてくれたのが、星野さんと三浦綾子さんの本であった。以来、1日中車椅子に腰掛けて、本を読むのが、復活した。そして、ネットフリックスから、活字の本へと、引っ越しができたのである。読書さん、お帰りなさい!である。眼精疲労の痛みが未だ取れない。この傷みが取れるまでは、ネットフリックスは、おやすみである。
丁度、杖歩行には、もってこいの季節になった。ヤル気を取り戻せそうな気がする。少しずつ、無理をせずに、駅までの1時間を歩き通せるようになりたい。余り草臥れるようなら、電動車椅子も良いな!せめてヤオコーまで買い物に行きたい。近所のコープまでも電動車椅子なら買い物に行けるだろう。さあ今日も帰って三浦綾子さんの本をよむぞ!そうだ!ネットフリックスは、私のやる気を結果として奪っていたのだ!明日からは、また元気にやって行きたいものだ!