

我慢強いのも、母親似。黙って我慢するのが得意。切れて感情か溢れるまでに、時間がかかる。えらく辛抱強いのだ。子供の頃、クラスで苛められても、じっと黙って、耐えていた。いま、黙っている時間が長いので子供の頃を思い出す。黙って何をしているか?と言えば、内心苦しくてたまらないのだけど、何とかその苦しさを、消そうと、いろいろな姿勢を取っている。良い本に嵌まって集中すると、痛さを忘れる。好きなことに夢中になるのも手だ!小学校低学年の頃は、大好きな女の子のことを考えていた。だから学校を休まずに済んだ。
自然に老いて行くことを考える。70さいを過ぎた辺りから、少しずつあれこれと、老化が進んで行くのだろう、腰や膝が役に立たなくなったり、内蔵が役に立たなくなったりと、おんぼろになっていく、私の場合は、それが障害として左半身麻痺と言う形で一挙に来たのだ。意識が自然の老化に付いて行けていない。意識は、まだ若いつもりで、未練をたっぷり残している。(これは当たり前か?)死ぬのが、身近に想像出来ない。(いつ死ぬかなんて、分からないのだから当たり前か?)これは、苦しいことだ。苦しさに耐えかねて、キリスト教に入信した。この痛さ・苦しさを忘れて過ごしたい。施設のルールの鬱陶しさを離れたい。死ぬ気ならば怖いものは無いはずだ。イエスさまは、愛が深いそうだ。絶対の恋人がいれば、現状を忘れて過ごせるかも。イエスさまは、こんな私でも愛してくれているそうだ。わが主イエス🎶わが主イエス🎶である。我弱くとも、恐れは在らず🎶わが主イエス我を愛す🎶
集中することと、死は、割合近くに在るのかも知れない。