
朝、7時に起きて、足回りの準備をし、車イスに乗って、御飯を食べに、居間に行く。先に5時に起きていた、家内がすべて用意をしてくれる。というより、私は、一人では、殆んどなにも出来ないに等しい。全く、口の煩い大きな赤ん坊てある。かろうじて、食べて味わうことと、排泄に関わることは、自分で済ませるが、後始末は全て、家内任せである。洗濯やベツド回りの片付け、着替えの洗濯と、準備も家内に任せっきりだ!杖歩行だって、少しは歩けるようになったが、常に転倒の危険を離れることは出来ない。健康だった頃の自己像を離れることが出来ない。なに不自由なく、日々を過ごしていた頃の自分が、良く心に浮かぶ。大阪の道頓堀を歩いた景色等、何度心に映して見たことか?脳梗塞になってからは、健康な頃の自分が、心を強く占領している。からだは障がい者なのだが、その事実をを心が受け入れず少しでも良くなろう、良くしようと、無意識に努力をする。私が、杖歩行の練習を一生懸命やるのは、足を直して、以前と同じように、歩けるようになりたいからである。私は、自分の現状を、受け入れられない。心の底では、いつも、直そうとしている。未練が深いというか!不可能だとは、絶対に考えられない。だから、自分が赤ん坊のように一人ではなにも出来ないことを認めることが出来ない。何でも自分一人の力と知恵でやり遂げようとする。以前から、自分の努力によって、ことを成し遂げる傾向が私にはある。だから、1人きりでひとり旅が、大好きだ!でももう、一人では何もできない。それを見せつけられる場面では、よくキレる。
デイケア施設「グリーンボイス」で杖歩行の練習で廊下を歩いていたら、同じ脳梗塞の男性が、よちよちと一人で歩いてくる。トイレから座席まで、頼りなく、よちよちと、時間をかけて歩いてくる。私は彼に比べてベテランのつもりで、歩いて来た。ところが、スピードが同じである。歩きは、私のほうが、安定している実感を持っていたのが、スピードは変わらない。新入りのよちよち歩きの男性と、わたしの速度は大差ないのである。気がついて、私は愕然とした。自分の実感が裏切られた!安定感が出てきたら、スピードも上がって来ていると、漠然と思い込んでいたのだ。
この事があって、私は、身体の現実と心に浮かぶ身体の現実のギャップに気がついた。私は身体を完全に直すことを時間は掛かるだろうが、絶対に可能なことと、思ってリハビリに臨んで来た。現実は、実際の側から、繰り返し裏切られる。転倒したり、自由にならなかったり。いつも治ることへの焦りと、必死な形相(心の中では、だから、その様子は外からは、見えない)
なぜそんなに歩けるようになりたくて、歩けない自分と戦うのだろう?常に自分の現状と喧嘩をしているようなことだ。(まだまだ若いということか?諦めが悪いのだ!)歩けないのを、何とかしようと、実際の自分とが、リハを通して、リハの度に喧嘩をしているやうな、ものだ。ともかく苦しい。苦しさで、家族に切れて八つ当たりをする。いい迷惑だ!ましてや家内は、心臓病で年中、動悸がする。なぜ私は自分のからだの現状を認められずに、戦ってばかりいるのか?その原因は、私の心にある差別と偏見だろう。身体障害者への差別と知的障害への偏見、自分を在るがままに、見ようとすると、障がいに触れようとすると、健常な自分の姿が、意識を占める。何でも自分の力でできる。そこに向けて、努力を始める。
自分の今を認められない。だから、リハビリのプログラムのメンバーに入れない。入ると自分が、老人や障がい者になってしまう気がする。なので孤独になる。私は、全身で障がい者の一員になるのを無意識に(意識すること無しに)拒んでいたのだ!この頃、グリーンボイス(リハビリ施設)に通うのが少し楽しくなってきた。そんなことに気がついたら、私を閉じ込める心の壁が消えたようだ。
何でこんな心の壁が出来たのか?それは、小学校低学年の頃の体験が元になっているようだ。小学校一二年の頃だと思う。妹がペルテスという股関節の病気で三年程、小平市に在った緑生会病院に入院した。そこの養護学校に3年間近く通った。股関節を固定して、ベッドに寝たきりで3年間を過ごした。私は毎週日曜日に小平駅から2駅電車に乗って1人で病院にお見舞いにかよった。小学校一二年のことだろう。綠生会の病院と小平養護学校は、綠生会成育園と言う名前で併設されていた。脳性麻痺の子供を多数抱えていて、身体障害者と脳性麻痺の子供が大勢、入院していた。入院している子供たちは長期療養者が多く、家族を離れて、小学校に上がる前の子供達が相部屋で生活しながら、病気の治療を続けていた。日曜日には家族や兄妹が皆一斉にお土産を持って、お見舞いにやってくる。当時は五円店で買う、細長い風船や、チューブ入りのストロー付きのプラ風船と、相場は決まっていた。ところが、子供達は、週に一度の面会を心底、待ちわびて居たのだろう。誰が何を貰った、誰が盗ったと喧嘩が始まる。毎度のことである、それも、障害を持った子供達は、自分の感情を剥き出しで、大騒ぎする。私は自分を理性的に抑え込んで、黙って耐える。妹のためと自分の感情を抑えて、ニコニコしている。このころからか?私は自分の感情をさらすことが、大変苦手になった。なにかあっても、ニコニコして、黙っている。身体障害者や精神薄弱の子供たちとの接触が私の心ををニコニコ顔の中に綴じ込めてしまったようだ。障がい者への怖さや遠慮が漠然と身に付いてしまって、離れることが出来ない壁になっている。この頃キリスト教に興味を持った原因は、この辺りにあるのではないか?と思う。三浦綾子さんを通じてたが、私が聖書を読むようになった理由は、この辺りにあるように思う。私は心の囚われから、自由になりたい、と、切実に思っている。この小学校低学年の頃の思い出にはてが届かにきてしまった。もう少し丁寧に、時間をかけてふりかえってみたいものだ。私の性格の根っ子がこの辺りにありそうな、気がする。ともかく、家内と娘には感謝である。2人がいなければ、私は生きては行けなかっただろう。